緩和ケア科に移ることは治療を諦めたわけではないこと-母の膵臓がん末期の看護を通じて学んだこと ストーリー2

こんにちはチオリーヌです。ここ数回に渡って、母の膵臓がん末期の看護を通じて学んだことを書いています。

前回のブログの続きですが、2019年12月25日にがん治療の病院から、苦痛を和らげることに焦点を当てた緩和ケア科に母は移りました。

緩和ケア科に移ってたった一日で劇的な変化があった

12月25日、寒いながらもお天気のいい日でした。20秒歩くことも辛い状態の母でしたが、緩和ケア科に移ることをすごく心待ちにしていた母はとてもワクワクしている様子。

入院していたがん治療の病院から緩和ケア科がある病院まではタクシーで10分。その移動の間も痛みがあるようだったので、あえて弟の恋愛事情なんかを話しながら気を散る話をして病院へ向かいました。

緩和ケア科の母の病室はとてもキレイな個室で、到着してさっそく看護師さんにお願いしながら母が好きなようにお部屋を模様替え!

移動してきた荷物を棚の中に片付ける作業などをして、私はその日はお家に帰ることに。

次の日病院にお見舞いに行ってみると、これまでの入院生活の中でも一番元気な姿を見せてくれました。ここ1か月近くは気分が悪くて食べても戻してしまったり、なにも食べることができない状態が続いていたのに、緩和ケア科にうつってたった一日でまずはごはんが食べられるようになっていました。

そして食べても吐き気がない! さらには痛みもほとんどないという、本人も驚くほど劇的な変化がおきていたのです。

食欲がでてきてよく眠れるように

糖尿病をずっと患っていた母は、何年にも渡って食事制限を行っていましたが、緩和ケア科では先生から「好きなものをなんでも食べていい」と言われていました。

そんな母がリクエストした意外な食べ物は「赤いきつね」「マクドナルドのフィレオフィッシュ」「モスバーガーのテリヤキバーガー」。食べたくてもこれまでずっと我慢していたものでした。

そして冬の時期には手に入れることがなかなか難しい「スイカ」が食べたいとのこと。横浜中のフルーツショップに電話をかけて、スイカを探して買ってきては、毎日病院にカットして持っていきました。

食欲が戻ってきてからはちゃんと夜には眠くなって、朝に目が覚める生活もできるようになり、母の毎日の生活の質はとてもよくなったんです。

母が過ごしていた緩和ケア科は看護師さんも先生たちもみんなとても穏やかで優しくて、母はもちろん、家族である私達もすごく助けられました。

緩和ケアは治療を諦めるわけではないこと

多くの人達が緩和ケアに移るということは治療を諦めることだと思っているそうです。病気の治療をしている病院の先生から緩和ケアを勧められると、不快感を示す患者さんや患者さんの家族も多いとのこと。でも、緩和ケアは治療を諦めるわけではありません。

緩和ケア科で痛みを取ることに重点を置いて、体力を回復させ、再び病気の治療に戻る患者さんも多くいるんです。

母がお世話になった緩和ケア科では「痛みなどの身体的な苦痛から解放されるだけでなく、精神的にも、社会的にも、穏やかに過ごせるよう、全人的な緩和ケアを提供すること」「 患者さんとともに戦う、ご家族の気持ちに配慮し、適切な情報の提供を行い、療養の経過中ばかりでなく、死別後に至るまで、支援すること」を基本方針に掲げていました。

先の見えない辛い治療は本人だけでなく、そばで見守る家族も本当に辛いです。でも緩和ケアはそんな状況を変えてくれる救いになると思います。少なくとも、私達家族はそうでしたよ。









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