がんであることが分かって3か月で母はこの世を去りました-母の膵臓がん末期の看護を通じて学んだこと ストーリー4

こんにちは、チオリーヌです。今日は衝撃的なタイトルになってしまいましたが、これまで4回に渡って書いてきた、母の膵臓がん末期の看護を通じて学んだことの最終回です。

これまでの記事はこちらになります。「余命はあくまでもその時の予測 」「緩和ケア科に移ることは治療を諦めたわけではないこと」「『そばに居てくれて当たり前』という考え方を改めること」も合わせて読んでみてください。

末期がんであることが分かってから3か月でこの世を去りました

末期がんについて調べていて、私のブログにたどり着いた人も多いかと思います。私も母が末期がんであると分かって、ググりまくりましたから。そして末期で余命3か月といわれながらも3年たった今も元気に暮らしている人の奇跡体験を読んで、「お母さんももしかしたら」と期待したりもしていました。

でも残念ながら、奇跡はすべての人に起きるわけではありません。母は2018年11月初めに膵臓がんの末期であることが分かり、3か月間の闘病生活を経て、20191月27日にこの世を去りました。

がん治療の病院から痛みをとることに焦点を当てた緩和ケアに移り1か月。食欲が出て、穏やかな生活を送っていた母でしたが、やはりだんだんと食事をする力がなくなり、目の焦点が合わないようになりました。

亡くなる10日前ころから、寝ていることが多くなり、「お水いる?」「スイカ食べる?」という問いにはうなずくものの、会話は成り立たなくなりました。でも突然「立ち上がりたい!」「起き上がりたい!」と言ったりすることもあって、看護師さんの助けを借りながら起き上がらせることもありました。

がんの患者さんたちは、会話ができなくなって眠っているように見えても、しっかりと耳は聞こえていると言われていますが、それは今回の経験を通じて本当にそうだと言うことが分かりましたよ。ですから、眠っているように見えても、絶対に患者さんの周りでネガティブな話をしないようにしてください。そして、返答がなくても、いつもはなしていたようなくだらない話をし続けてあげてください。私は母が好きだった大相撲やテニスのテレビ中継を流しながら、母の試合の結果を伝えたり、マークと旅行に行ったときの出来事なんかをずっと話していました。

最期は本当に眠るように静かに、父と弟と私の3人に見守られる中、母は息を引き取りました。

書くことで心に溜まっていたものが少し楽になりました

ブログに母が亡くなったことを書くかどうか迷ったのですが、書くことで心に溜まっていたものが少し楽になりました。

というのも、日本で母の闘病生活を支えていたときからお葬式が終わって今まで、思いっきり泣くことができずにいたから。私はイギリスに暮らしていますが、母と一緒に暮らしていた父と弟の方がもっと辛いだろうと考えたり、泣きすぎて憔悴仕切っている父を支えなければならないと想いが強く、泣くことがあまりできませんでした。

でもこのブログを書きながら、ボロボロ泣くことができました。ただ、母のお葬式が終わってからも何度もお葬式の夢を見たり、マークを失う夢をみたりすることが続いていて、誰かを失うことに恐怖を感じている自分がいるようです。まあでもそんなことばっかり言ってられませんからね! 「Life Goes On」精神でまた頑張っていきます。









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